昭和41年4号台風について
昭和41年、4号台風(降雨量400mm)がもたらした土砂災害により阿須地区で武蔵野炭鉱社宅3世帯が埋没。5名亡くなられています。小学生も2名、命を落とされたとの事。
当時の文化新聞の記事です。(1966年 昭和41年7月2日発行)
http://www.hanno-archive.jp/view.php?id=2008&caption=3&from=search
阿須惨事にこりた飯能署
新機材そろえ体制かたむ
六月二十八日襲来した台風四号のため阿須の武蔵野炭こう社宅で五人死亡、一人重体という飯能市未ゾウ有の突発大惨事につき、飯能署では事件後原因究明、救出方法などの警備体制につき検討を行っていたが、同事件が土砂崩れ、生き埋めという飯能署これまで未体験の災害事件であったことから、今後同様災害事件に備えるため、次ぎの新機器を備えつけることを決め、このほど防犯協力会の協力を得て一日(?)機材を購入、万一の場合に備え、完璧を期した。
スコップ六丁、かくや一丁、のこぎり一丁、つるはし二丁、なた一丁
右につき同署内野利雄警備係長は次ぎのように語った。
「台風四号のため発生した阿須の災害事件は飯能署としてはああした事件は初めてのこに(ママ)で、若し現場にアノ時スコツプがなかったら救出に大支障を来したことだったろう。
幸い武蔵野炭こうにスコツプが沢山備えつけられていたので、直ちに使用され救出に大いに役立った。まだ飯能市の山に危険視されるところがあるので、万一の同様災害に備え、こんど新兵器を備えつけることにした。阿須の災害事件はいい教訓となった。」